
北里柴三郎の終生の友として知られる後藤新平。日本の医学界を共に発展させた2人ですが、実は若い頃はお互いを敵視する関係だったのです。そんな「ライバル同士の物語」をご紹介します。
2人は1883年、内務省衛生局で初めて出会います。後藤は北里よりも早く入局しており、北里にとって自分より若い上司でした。東京医学校(1877年:東京大学医学部と改称)を卒業していた北里は、福島県の医学校出身の後藤に対し「地方の医学校出身で自分より若く給料も高い」と不満を募らせます。また、後藤も北里について「どうしたものか」と悩み、お互いがけん制しあっていました。
そんな二人が認め合うようになったのは数年がたった頃でした。1890年、コッホ研究室で実績を積んでいた北里の下で、私費留学で訪れた後藤が研究の指導を受けることになります。
コッホも認める北里の実力を肌で感じたとき、後藤の北里への評価ががらりと変わりました。また、北里も衛生行政の視察を精力的にこなす後藤の姿に一目置くようになったのです。
北里と後藤は日本の公衆衛生や医療に不満を感じているという共通点がありました。2人は「日本国民が健康に暮らせる社会の実現」という同じ目的のために、それぞれが熱い思いを持っていたのです。
そして、互いを認め合うようになったことで、2人の熱い思いが合わさり、医療と公衆衛生が発展することになりました。後藤は、日本で初となる、北里が主宰する私立伝染病研究所の設立や運営など、北里を行政面から援助しました。
この二人がもし犬猿の仲のままだったら、今の日本の医学界の発展はなかったのかもしれません。

第十回国際医学会に参列した日本人留学生達【1890(明治23)年8月ベルリンで撮影】
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