
獣医学部(青森県十和田市)の、ある一人の先生の地道でやさしい活動が、環境大臣まで届きました。今年5月、生物環境科学科の進藤順治先生が、令和8年度「みどりの日」自然環境功労者環境大臣表彰を受賞しました。
評価されたのは、青森県鳥獣保護センターで約20年間にわたり無償で続けてきた傷病鳥獣の診療と、野生動物保護に関する啓発活動です。しかし、その話題を先生に向けると、返ってきたのは少し意外な言葉でした。
「ずっと地道に続けてきたことなので、自分ではあまり特別なことをしている感覚はないんです」
そう穏やかに話す進藤先生ですが、この活動は2007年から現在まで無償で続けられてきたもの。しかも、ほぼワンオペでの活動です。
青森県鳥獣保護センターでの活動や、進藤先生が提唱する「0.5プラス次診療」、そして北里大学が描く野生動物医学の未来について伺いました。

――なぜ20年近く、野生動物と向き合い、無償で活動を続けることができたのでしょうか。
◆難しい質問ですが、一言で言えば「動物を診る獣医師であり続けるため」です。ちょっとカッコよく言えば、根底にあるのは獣医師としての使命感です。傷ついた動物を助けたいという思いが、私の原動力になっているのかなと思います。
■青森ならではの、傷ついた野鳥たちを救う日々

――鳥獣保護センターでは、どんな活動をされているのですか。
◆毎週金曜日の午前中、鳥獣保護センターから連絡が来ます。動物の保護がなければ行かないのですが、基本的には往診を想定して予定を組んでいます。十和田市から車で50分。FMラジオを聞きながら、平内町にある鳥獣保護センターへ向かい、到着したら長靴やつなぎなどに着替えて診察に入ります。
まず動物の様子を目で見て確認し、保定(捕まえる)、触診、聴診などをおこないます。その上で、必要に応じて採血や投薬をします。
診察後は、「すぐに野生に返せる」「一時的に保護してから野生に返す」「しばらく治療をしながら経過観察をして様子を見る」など判断し、その内容をセンターの職員に伝えてから大学に戻ります。
――どんな生き物が保護されるのですか?

◆青森県鳥獣保護センターに運ばれてくる生きものたちのうち、約95%が鳥類ですね。保護される鳥の内訳を見ると、ハクチョウが3割、ノスリやフクロウといった猛禽類が3割くらい。これは本当に青森ならではの特色ですね。たまにカモシカやタヌキ、コウモリなんかもやってきますが、基本的には鳥たちがメインです。
保護センターには一般の人が見つけたり、警察から連絡がいったりして保護された生きものたちがやってきます。保護センターに着いてまず行うのは「トリアージ」。この子は野生に戻せるだろうか?それとも治療が必要だろうか?という、命の行く末を決める大切な判断です。短いときは1日、長くても1週間ほどセンターで保護・治療をして、もどせるものはできる限り早く自然へと還しています。
野生動物を診ている時は、頭の中にいろんな原因の可能性をうかべ、状態を診て、少ない情報の中から何が起きているかを見つけだしています。
実は、県の鳥獣保護活動には十分な予算がなく、往診は診療協力というボランティアで行っています。治療に使う薬などは、獣医学部附属動物病院で余ったものなどを譲り受けて工面しています。

――この活動を始めた経緯を教えてください。
◆私は北里大学獣医畜産学部(当時。現獣医学部)を卒業後、獣医師として、山形県の家畜診療所で牛や豚の診療をしていました。そこでは経済動物の保険診療が主でしたので、もっと十分な治療をしてあげたい、そしてもっと色々な動物を診たいという想いから、新潟県の水族館で獣医師として働くようになりました。働きながら並行して研究も行い、2005年に博士の学位を取得しました。
そして2007年、北里大学獣医学部に新しく、野生動物学の研究室を立ち上げると聞き、これまでの経験を活かした活動の可能性を感じ、母校に赴任しました。
赴任してからすぐ、自分から青森県庁を訪ねて「野生動物について何かお手伝いできることはありませんか」と自己紹介しに行ったんです。それで鳥獣保護センターでの活動が始まりました。面識も何もない、ゼロからのスタートでしたが、20年近くこうして活動続けることができています。
■野生の強さを信じる「0.5プラス次診療」

――野生動物とそんなに長い間向き合ってきたのですね。動物たちにはどういう治療を施すのですか?
◆動物病院のように、至れり尽くせりの手当てをすることはあえてしません。一般的な動物病院と野生動物保護の一番大きな違いは、飼い主の有無です。また、野生動物は、いつ怪我をして、どれくらいの期間食べていないのか、など保護センターに来るまでの経緯がわからない状態で診ることになります。
目指すのはあくまで『野生に戻すこと』。野生動物が本来持っている強い生命力を信じて、ほんの少しだけ背中を押してあげるようなサポートを意識しています。例えば、ひどい化膿や外傷などの緊急事態を除いて、抗生剤などの薬は極力使いません。これは動物の生命力に期待するとともに耐性菌ができないようにする為です。
過去に調査で野鳥の大腸菌を調べたとき、かなりの割合で人間や動物の薬が効かない耐性菌が見つかりました。もし私たちが薬を使いすぎて、耐性菌を持った状態のまま自然に還してしまったら、野生の世界にその菌を広げてしまうことになります。だからこそ、環境に配慮した引き算の医療も必要なんです。
保護センターで行っている一連の診療を、私は「0.5プラス次診療」と呼んでいます。

――「0.5プラス次診療」…あまり聞き慣れない言葉ですね。どういったものなのでしょうか。
◆私が行っている「0.5プラス次診療」は、1次診療と0.5次診療の中間のようなイメージです。一般の動物病院は、レントゲンや血液検査などの設備を使いながら、健康診断から病気の治療、避妊や去勢、骨折の治療まで幅広く行います。こうした一般的な獣医療は「1次診療」と呼ばれています。一方「0.5次診療」は、健康管理や病気の予防を主におこなう診療で、治療はあまり行いません。
私が行う診療は、鳥獣保護センターへの往診ですので、病院のような設備はありません。持ち運べる限られた器具だけで診察するため、一般的な1次診療と同じことはできません。しかし、治療をほとんど行わない0.5次診療とも違います。いわば、野生に戻るための「あと一歩」を支える診療です。
病院のように手厚く治療する1次診療でもなく、健康管理だけを行う0.5次診療でもない。野生動物が再び自然の中で生きていけるよう、そっと背中を押すような診療です。
傷ついた動物が元気を取り戻し、再び野生へ帰っていく。その手助けができれば、自然環境や生物多様性を守ることにもつながると考えています。
――野生の命を野生に返すため、生命力のお手伝いをするような治療なのですね。
■水族館や動物園の獣医を目指す学生たちの「駆け込み寺」

――大変貴重で、社会のためになる活動を続けてこられたのですね。学生たちはこのことを知っているんですか?
◆実は、学生どころか、教員も知らない人がいるぐらい、ひっそりと活動してきました。獣医学部では、3年次に「野生動物学」、4年次にはエキゾチックアニマルの講義があり、学生に傷病鳥獣の処置の仕方や鳥の診療方法をリアルな視点で教えています。
野生動物に関心がある学生は、私のところに相談に来ますね。2〜3年生のうちは『野生動物に関わる仕事って、具体的にどんなものがあるんですか?』と興味本位で聞きにくる子が多いです。それが4年生になると、より将来を現実的に見据えて「野生動物に携わる仕事がしたいんです」と真剣な目になります。
また、私の経歴が、家畜診療所と水族館で獣医師をして働いてきたということもあり、そういった施設で獣医師を目指している学生は、毎年必ず私のところに相談に来てくれます。
――相談に来た学生さんには、どんな声かけをしているのですか?
◆社会にはいくつかの野生動物関連の職種があり、それぞれに就くためにはどのような道があるのかを説明します。
また、多くの学生から「今、何を勉強すればよいですか」と質問されますが、私は常に「基礎をしっかり身につけていれば、さまざまな動物に対応できる。学生の間は、今学んでいる科目を確実にマスターすることが最も重要」と伝えています。
そして、実際の業務を理解するためには、実習などを通して自分の目で現場を見ることも欠かせないとアドバイスしています。
――先生が平内町で向き合ってきた命のバトンは、こうして十和田の教室で、次の世代の獣医師たちへと確実に受け継がれているのですね。
■学科の枠を越え、北里が本気で挑む「野生動物医学センター」の未来へ

――先生が始めたこの活動、今後はどうなっていくのでしょうか。
◆これからは、私一人や、生物環境科学科(2025年度入試より募集停止)だけの活動から広がり、北里大学獣医学部全体で野生動物保全に挑戦するため、新たに「野生動物医学センター」を設置する予定です。
昨今、クマの出没、シカやイノシシの農作物被害、そして豚熱や鳥インフルエンザをはじめとした感染症など、野生動物の問題は幅広く、深刻化しています。そのいずれも鍵になるのは動物の生命科学です。
しかし、実際に野生動物を目の前にして、実践的・臨床的な野生動物保全を学べる環境は国立・私立大学すべて含めても数校しかありません。
野生動物医学センターでは、こうした複雑に関連する諸問題に横断的に取り組み、調査研究を通じて問題解決の提案や技術開発に貢献できる専門人材の育成を目指します。教育と研究の拠点として、持続可能な自然環境と人と野生動物の共生に寄与していきたいです。
――野生動物保全は、北里全体での取り組みに広がるのですね。最後に、読者へメッセージをお願いします。
◆野生動物を守る仕事では、傷ついた野生動物の救護や、希少種の保護といった、命を守る取り組みがあります。一方で、クマやシカが人の暮らしに大きな影響を与える場合には、個体数を管理するために捕獲が行われることもあります。一見すると正反対のことをしているように思えますが、どちらも人と野生動物が共に暮らせる豊かな自然環境を守るという共通の目的があります。
野生動物を診る獣医師は、動物の治療だけが仕事ではありません。獣医学の知識を幅広く生かして、生物多様性や自然環境を守り、健全な生態系を創ることで、野生動物の健康、そして人の暮らしや健康にも貢献しています。
北里大学では、自然豊かな青森・十和田という環境を生かし、獣医学の一分野である野生動物学を実践的に学ぶことができます。

進藤 順治(しんどう じゅんじ)
茨城県生まれ、1990年北里大学獣医畜産学部獣医学科卒業。
獣医師免許取得後、NOSAI山形 庄内家畜診療所、新潟市水族館にて勤務し2007年北里大学獣医学部生物環境科学科 准教授として赴任する。
2005年には水族館の勤務をしながら、舌の比較形態学的な研究を行い、日本歯科大学にて歯学(博士)の学位を取得。現在は、野生動物の上皮の表面構造の比較形態学的な研究と傷病鳥類に関する調査を行っている。
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