
北里大学に日本で戦後初となる医学部が創設されたのは1970年のこと。しかし、歴史をさかのぼると興味深い構想が存在しました。
1915年9月7日付の大阪朝日新聞の記事では、前年に北里研究所を設立したばかりの北里柴三郎博士が、同研究所を付属とする「北里医科大学」創設を計画していたと報じられていたのです。そこでは、私立の日本医学専門学校(日本医科大学の前身)と女子医学専門学校(東京女子医科大学の前身)を合併することで母体をつくることが構想されていました。
しかしながら、当時の北里は研究所での取り組みとその設立に尽力してくれた福澤諭吉の恩に報いるべく、慶應義塾に発足が決まった医学科の初代学科長に就くために多忙を極めており、大阪朝日新聞の記事以降は「北里医科大学」の続報は確認されませんでした。
大学設立を構想しながらも、福澤からの恩に報いようとする北里の姿勢は、北里研究所としても重視してきた「報恩の精神」を体現していた、と解釈することができそうです。
※この記事は、2023年4月4日に「KITASATO BRANDING PROJECT」のブログに掲載された記事の再掲です。
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