
北里柴三郎の最大の恩人と言っても過言ではない、福澤諭吉とのお話をご紹介します。
二人の出会いは、1892年に遡ります。北里はドイツ留学から帰国した際、「日本にも伝染病に特化した研究機関が必要」という思いが募ります。しかし、休職満期で免官になり肩書きがないことでなかなか実現できませんでした。
その状況を見かねた福澤は自らの土地を提供し、北里のために私立伝染病研究所を設立しました。また、研究所が移転する際には、不安をかかえる周辺住民たちを説得すべく、福澤は自分の息子を隣接地に住まわせて安全性をアピールしたといいます。福澤は「能力のある者に活躍の場を提供できないのは恥である」と考えていたのです。

北里が国立伝染病研究所の所長になった際に福澤は、北里が運営していた土筆ヶ岡養生園(結核専門病院)で得た利益を研究資金として貯めておくようアドバイスします。「不安定な政治情勢に左右されず、自ら研究の道を突き進んでほしい」という福澤の「独立不羈」の教えが現れています。
福澤の言葉は的中し、第一次世界大戦の影響によって政府の組織改編が行われます。反発した北里は所長を辞職し、「私立北里研究所」を設立します。これも福澤の教えを守って貯めていた資金があったからこそ実現できたのです。
そんな北里が福澤へ最大の恩返しをしたのは、福澤が逝去して16年後の1917年。
福澤が創立者である慶應義塾が医学科を開設した際に、北里が初代医学科長に就任します。福澤の教えを胸に、官立医学に対抗できる私学としての医学を目指しました。

そして現代でも、恩師・福澤が果たした「お札の顔」の役目を引き継いでいます。福澤と北里の縁は今も続いているというロマンがありますね。
≪参考文献≫
『徹底解剖! 北里柴三郎 -不撓不屈の精神で予防医学の礎を築いた人-』 森孝之 出版文化社 2022年
『資料から見る北里柴三郎の功績』 森孝之編 学校法人北里研究所 2023年
PARKの木かげ
2026.7.23
PARKの木かげ
2026.3.12
PARKの木かげ
2026.3.5
PARKの木かげ
2025.11.13
PARKの木かげ
2025.11.6
PARKの木かげ
2025.10.9
キャンパスのいま
2024.12.02
砂塚敏明学長 国際化への思い 「生命科学の総合大学としてグローバルな問題への貢献を目指す」(上)
社会とつながる
2025.05.15
北里大学メディカルセンター わん!チームのシンボル(上)「北里メディカルドッグ交代式」レポート