
現代人の不調に寄り添う「漢方」が、いま注目されています。北里大学北里研究所病院漢方鍼灸治療センター(東京都港区)の緒方千秋薬剤師は、30年以上にわたり生薬の調剤に携わってきました。一度は離れた母校に戻り、漢方の道を志した理由とは。その歩みと、日本の薬剤師免許が持つ「強み」について伺いました。(1回目/全3回)
──緒方さんは今、漢方鍼灸治療センターの広報担当として漢方の魅力を伝えていらっしゃいます。緒方さんが漢方の道に進まれた経緯を教えてください。
◆日本の医学は、奈良時代以降、中国から伝わった伝統医学が主流でした。江戸時代に、オランダ医学が日本に伝えられ、それを「蘭方」と呼びました。一方の「漢方」は、中国から伝わった伝統医学が、日本人の体質や日本の風土に合わせて独自に発展したものです。
私自身は、学生時代は漢方にあまり興味がなかったんです。1988年に北里大学を卒業後、医療機器メーカーで営業職をしていました。1年数か月経ったころ、北里大学の担任だった田中晴雄先生から自宅に「北里に戻り、漢方の仕事をしてみないか」と電話があったことを、母から聞かされました。母はとても良いお話と思ったのか、私に聞かずに「よろしくお願いします」と伝えたというのです。私にとって漢方との出会いは、「お見合い就職」でした。
──お母様は、緒方先生に漢方の仕事が向いている、と思われたのでしょうか。
◆母は、私が子どものころから書道や華道、茶道などの伝統的な文化を好んで稽古していたのを知っていましたから、伝統医学である漢方も、長く付き合える分野であると確信していたのでしょう。
また、今は「推し活」という言葉が流行っていますが、小学生だった私の「推し」は、北里柴三郎、野口英世、エドワード・ジェンナー、渋沢栄一 ──。亡くなった偉人たちでした。歴史に名を残した方の生き方に、惹かれるのです。それもあって、高校卒業後、進学先を決めるときに北里柴三郎博士が設立した「北里大学もいいな」と思ったほどです。
当時は、親がわざとそういう偉人の伝記本を見せていたのかもしれませんが(笑)、こうした偉人に影響を受け、「人の役に立つ仕事に就きたい」と考えていました。

──卒業生である緒方先生を、田中先生が北里大学に呼び戻したのにはどのような理由があったのでしょうか。
◆1972年設立の北里大学東洋医学総合研究所(東医研、現在の北里大学北里研究所病院漢方鍼灸治療センター)は当時、「元気で明るい人材を探している」という条件を出していたそうで、田中先生が私を思い出してくださったようです。「元気で明るいことが、就職でも役に立つんだな」と思いました。また、入所して南京袋に入っている大量の生薬の運搬作業がありました。現在の生薬は500g包装になっていますが、当時は力仕事も多く、体力のある私に白羽の矢が立った面もあったようです。
こうして、1989年に東医研に入所することになりました。北里大学在学中、薬学部と同じ敷地内にある東医研は、「独特な香りがするところ」というくらいの認識で、あまり関心が持てませんでした。
入所して、そこが漢方・鍼灸を専門とした医療機関で、香りの正体が漢方薬やお灸であることを知りました。主な仕事は、「刻み生薬」を用いた漢方薬の調剤でした。もともと漢方に関心があったわけではないので、戸惑いの連続でした。
漢文も苦手でしたから、当初は「傷寒論(しょうかんろん)」などの古典原文を読むことは苦痛でした。葛根湯、小柴胡湯(しょうさいことう)、六君子湯(りっくんしとう)……。膨大な漢方薬名を覚えるのにも必死でした。

ただ、漢方を学んで古典を解読できたり、漢方薬名の由来を知ったり──。すべてのことが新鮮に思え、徐々に漢方の考え方も受け入れ、お見合い就職をしてよかったと思えるようになりました。
──漢方を取り巻く教育環境は、当時と今では大きく異なりますか。
◆私の学生時代、北里大学薬学部には「漢方・東洋医学」という教科が存在しませんでした。「生薬学」という教科はありましたが、木のかけらを見て成分や学名を覚えるだけで、それが実際の漢方薬としてどう機能するのかは、深く理解できていなかったように思います。
明治時代以降、日本は西洋医学をモデルに医学・薬学教育を整備し、戦後もしばらくは「漢方・東洋医学」は教育課程の主流には含まれていなかったのです。ですから、私が「漢方を専門にする」と言い出した時は、周囲から「変わり者だね」と言われたものです。それくらい、当時はまだメジャーな分野ではありませんでした。
現在は、医学部や薬学部の教育モデル・コア・カリキュラムに、漢方に関する内容が組み込まれています。ただ、国家試験に出る漢方に関する問題が少ないため、学生さんはあまり力を入れて勉強しない傾向にあるように思います。将来医療の現場に出れば、漢方薬を処方できる医師のニーズは高いです。現在、医師の約8~9割は、何らかの形で漢方薬を処方しているとされています。将来医療の現場に立つようになれば、漢方薬や生薬の知識が必要になってきます。

日本は医師免許も薬剤師免許も、それぞれ1種類しかありません。だから、私も一般的な薬学部を卒業して漢方薬剤師をしています。一方で、韓国や中国は違います。西洋医学の医師・薬剤師と、伝統医学を扱える医師・薬剤師の免許が、法律でも明確に分かれています。ですから、これらの国では、西洋医学の医師免許では漢方薬を処方することができません。日本は、西洋医学の医師が、漢方薬も処方できるという、世界でも珍しく柔軟で恵まれた制度になっています。
──西洋医学と漢方を地続きで扱える環境は、日本ならではのものなのですね。
◆そうですね。検査機器で局所を分析する西洋医学と、心も含めた全身を診る漢方。この両輪があるからこそ、患者さんの多様な悩みに応えることができます。こうした日本の強みを次世代に伝えるため、私は今、母校の北里大学だけでなく、明治薬科大学などの教壇にも立っています。明治薬科大学へは、東医研のOBの方からの依頼がきっかけで伺うようになりました。
学生さんは教科書を読めば知識は吸収できますが、私が本当に手渡したいのはその先にある「元気」や「健康」の守り方です。漢方には「未病」という言葉がありますが、病になる前の段階で防ぐ「予防」の重要性を伝え、これからの医療を担う人たちに引き継いでほしいです。
最近は、古くから日本に根付いていた習慣が、形を変えて再評価されていると感じます。ブームとなっているサウナも、かつて日本で親しまれていた「蒸し風呂」に通じるものがあります。「サウナの聖地」として知られる静岡市の「しきじ」と共同で薬草入浴剤を開発したのも、そうした思いからです。
実は、北里柴三郎博士も、かつて静岡県伊東市などでの温泉養生を奨励していました。その精神を受け継ぎ、私たちは生薬を配合した「北里の湯」という入浴剤を作っています。
漢方もこれらと同じで、古くからある良いものに、ようやく時代が追いついてきたのではないでしょうか。現代社会の不調に寄り添う考え方として、漢方の視点が改めて求められているという手応えを感じています。

緒方千秋 (おがた ちあき)
1965年山形県生まれ。北里大学卒業後、一般企業を経て、1989年、北里に戻り漢方の道に飛び込んだ。現在は、30年以上の臨床経験を活かし、サービス精神と人の役に立ちたい気持ちで、漢方の啓発活動に取り組んでいる。また、漢方とサウナ、化粧品、食品など異業種との関わりを模索中である。これからも北里大学の一員として、漢方を通じて、地域の皆さんの健康維持に関わっていきたい。 ***
【利用するには】
北里大学北里研究所病院漢方鍼灸治療センター
東京都港区白金5-9-1
漢方治療と伝統的手法による鍼灸治療を行う、自由診療(保険適用外)の診療部門。
漢方外来では、医師による脈診、舌診、腹診など、漢方医学の伝統的な方法に基づき、患者さんの体調を診断しています。漢方薬剤科では、生薬(漢方薬の原料)に精通した薬剤師が、処方箋に基づき、漢方薬(煎じ薬)を調剤しています。患者さんの細かな体質を考慮し、生薬を加減したオーダーメイドの漢方薬です。
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