研究の森

2026.1.22

「研究はスポーツだ」 毛生え薬を作りたかった少年がめざした研究者への道(上)

「毛生え薬」を作って億万長者に?──。北里大学大村智記念研究所・生物有機化学研究室の講師・千成恒先生は芸術一家に育ちながら、北里大学に進学し、薬を作る研究をしています。「海外が嫌い」な野球少年だったという千成先生が、世界で活躍する研究者になるまでの、意外すぎる道のりを聞きました。(1回目/全3回)

――千成先生は、どのような環境で育ちましたか?

◆父は、「ヴィオラ・ダ・ガンバ」というチェロに似た古い楽器を弾く、バロック音楽の専門家でした。北海道大学工学部出身で、28歳まで高校教諭だったのですが、辞めてベルギーに留学し、音楽家になったそうです。

 物心ついた時から、父が楽器の練習をしていたり、生徒さんがレッスンに来たり、演奏旅行に出かけたり、という生活でした。僕も小さいころからピアノなどを「やらされて」いたのですが、あまり興味が持てなくて。

 母はインテリアコーディネーターですが、僕はその仕事をしている姿をあまり見たことがなくて(笑)。母はパリに住んでいた時期もあり、フランス語の通訳もしていました。

 そんな両親だったので、「とにかく海外に出て、広い視野を持て」と、言われて育ちました。

──ご両親の影響で、昔から先生も海外志向が強かったのですか?

 ◆幼いころ、父の仕事でベルギーに数カ月滞在したことがあるのですが、僕にとっては「監禁」に近い感覚でした。言葉は通じない、テレビも分からない、友達もいない。「こんなつまらない場所はない」と思って「もう海外には行かない」と心に誓って帰国しました。だから、大学までは海外に興味がありませんでした。

──意外です。そんな少年が、なぜ海外でも活躍する「薬を作る研究者」という道を選んだのでしょうか?

 ◆僕の家系は、祖父も父も髪が薄くて。両親から、ワカメが嫌いな僕に「ワカメを食べないと、将来ハゲる」と言われていました。ある時、父に「毛生え薬を作ればいいじゃん」と言い返したら、「もし『毛生え薬』を作れたら、億万長者になれるぞ」と言われました。実際は、僕に(髪の毛が増えると、ちまたで言われている)ワカメを食べさせたかっただけだと思うのですが・・・・・・(笑)。

 その後、國學院大學久我山高校(東京)に進学し、理系の特進クラスに所属しました。ほとんどの時間を野球と勉強に費やす、忙しい毎日でした。

 勉強では、物理や数学が好きでした。最低限の公式は覚えなければいけませんが、それさえ頭に入っていれば、あとは「原理」でつながっています。違う事柄に見えても、根底にある考え方は似ていたり、同じ理屈で説明がついたりするところがおもしろいと思いました。

──進学先として、北里大学薬学部を選んだ理由は?

 ◆「物理と数学の理系科目が好きで得意だし(化学は並でした)、億万長者になれるかもしれないから、薬学部かな」との思いが頭をよぎり、軽い気持ちで北里大学薬学部を受けました。また、他大学の理工学部もいいなと思っていました。

 両親は「医療系に進むなら北里柴三郎先生で知られる北里大学」と勧めてくれました。東京・港区に白金キャンパスがあり、実家から通いやすくていいなとも思いました。ところが、入学手続きをしたら「薬学部1年生は相模原キャンパス(神奈川県)に通う」と知りました(笑)。

──入学後は、すぐに研究に没頭されたのですか?

◆小学生のころから続けていた野球部に大学でも入って、野球に熱中しました。薬学部ではまず、薬剤師の資格を取るための勉強をします。暗記が多いので、僕には少し退屈でした。僕が学びたかった「原理を深く追求する学問」とは少し違っている印象でした。

──野球漬けの日々から、研究者への道はどうつながったのでしょう?

 ◆北里大学・野球部の1年先輩である君嶋葵先生(微生物応用化学研究室・講師)との出会いが大きかったですね。君嶋さんが当時、砂塚敏明先生(現・北里大学学長)の研究室(大村智記念研究所・生物有機化学研究室)にいて、「将来薬を作りたいなら」と誘ってくれました。

──野球部の先輩との縁で、運命の研究室に出会ったわけですね。どんな雰囲気でしたか?

 ◆理学部から進学する学生が中心なので、薬学部から大村研に進学する学生はほとんどいません。僕みたいに薬学部から入るのは、珍しいケースでした。たぶん僕が初めてだったんじゃないかな。

 薬学部だと、学部時代に薬剤師の資格を取って、病院や企業に就職するのが一般的なキャリアです。博士課程まで進んで研究しようという人は、少数派になります。(薬学部と大村研は)同じ白金キャンパスにありますし、薬学部から研究者を目指す人が増えてほしいなという思いもあります。

 砂塚先生の研究室は、体育会系でした。あいさつをして、礼儀をつくす。「相手が何をしたいかを察して、前もって動けるようにする」など、先生方から教わり、今も大切にしている教えはたくさんあります。

 これも、研究室の写真です。こういう感じでみんな黙々と作業をしているのが分かりますよね。「口を動かす前に手を動かす」そんな感じでした。砂塚先生の誕生日にケーキを買って祝ったこともありました。

 研究を続ける中で、「研究って、スポーツと似ているな」と思うようになりました。

――「研究とスポーツが似ている」のはどんなところでしょう?

 ◆僕の専門である有機合成研究(炭素を含む化合物を、化学反応を組み合わせて人工的に作り出す技術)では、フラスコに試薬を入れて、反応させて、チェックして、失敗して、また条件を変えて……という作業を延々と繰り返します。これは、体力と気力がないと続きません。日々コツコツと練習を繰り返すという意味でスポーツと共通点があると思います。

 研究の世界には、僕よりもっと優秀な人はたくさんいると思いますし、当時は「東大の人には絶対に負けたくない」と思っていました。だから、「彼らの3倍、実験をやろう」と決めていました。試行回数を増やせば、それだけ成果が出る確率も上がります。実験室で、ひたすら手を動かし続けました。

――野球の経験は、研究にも生きているのですね。

 ◆野球は、「動いていない時間」が多いスポーツです。ですから、その動いていない時間に、「考える」ことが大切です。

 高校野球部の監督には「視野を広く持ち、常に先のことを考えて準備しなさい」と言われていました。「道端のゴミに気づけない人間は、プレー中の小さな変化や隙にも気づけない」とも言われましたね。「視野を広く持ち、日常の些細な変化に気がつくことが、野球のプレーにつながる」という教えです。

 研究も同じです。小さな違和感が、大発見につながる。高校野球部での経験は、今の自分を支えています。

千成 恒(せんなり ごう)
1989年東京都中野区生まれ。北里大学卒。野球一筋15年の学生生活の後に大学院に進学。博士号取得後、カリフォルニア大学バークレー校に留学。現地でのスタッフを経て北里大学に赴任。専門は天然物化学、有機合成化学、創薬科学。いつかヒトを救う薬を創りたいモチベーションで研究を行っている。

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