
「英語が話せないと、チャンスを逃す」。そう痛感して、北里大学大村智記念研究所・生物有機化学研究室の講師・千成恒先生は、アメリカへの留学を決めました。「海外なんて行きたくない」と言っていた野球少年は、なぜ変わったのでしょうか? きっかけとなった国際会議での出会いや、大村智特別栄誉教授のノーベル生理学・医学賞受賞の瞬間に立ち会った貴重なエピソードを紹介します。(2回目/全3回)
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「研究はスポーツだ」 毛生え薬を作りたかった少年がめざした研究者への道(上)
──そんな先生が、子どものころは嫌いだった海外へ目を向けるようになったきっかけは?
◆修士課程の時、国内で開かれた国際会議でポスター発表をする機会がありました。会議の主催者が所属する研究室の砂塚敏明先生で、参加者は200人以上いました。

この時に発表した研究が、「プペルル酸の全合成」。青カビなどが作るユニークな天然物質(プペルル酸)を、安い市販物質から人工的に作り上げる研究です。

発表をしていたときに、ノーベル化学賞を受賞したアメリカ人の有機化学者、シャープレス先生(K. Barry Sharpless)が僕のポスターの前に来てくれました。シャープレス先生は、はじめは遠くからポスターを見ていました。でも、僕は話したかったので、「研究の紹介をしていいですか?」と英語で話しかけました。

ポスター発表に向けて、さんざん練習をしてきたので、スムーズに英語で説明できましたが、その後シャープレス先生に「コマーシャル?(Are any of these tropones commercial?)」と聞かれました。今振り返ると、「自分が行っている実験でも使いたいから手に入ったらいいな」(「その試薬は市販されているのか(Commercially available?)」)という感じで聞いてくれたと思います。
でも、当時はどういう意図の質問なのか分からなくて、自分の研究の説明をしました。英語の読み書きはできたのですが、専門分野を含めて深い意思疎通まではできなかったので、「英語がわからないと、ミスコミュニケーション(意思疎通の行き違い)が起きて、大きなチャンスを逃すことになる」と痛感しました。
──それは悔しいですね……。

◆言葉が通じないことで、チャンスを逃してしまった。それが本当に悔しくて「海外に行って、英語の勉強をしよう」と決心し、(研究室の)砂塚敏明先生に「1年間休学して語学留学に行かせてください!」と直談判しました。砂塚先生は送り出してくれましたが、このタイミングで、語学留学する人はなかなかいないと思います・・・・・・。また、最終的に海外に目が向いたのは、やはり両親の影響も大きかったのだと思います。
こうして、修士課程が終わったあとに、博士課程を1年間休学して語学留学をし、コロンビア大学(アメリカ・ニューヨーク)の語学を学べるプログラムに参加したのです。
そこでは、多様な人が、いろいろな目的を持って英語を勉強していました。一番上のクラスに行くと、そのままコロンビア大学に編入できるため、それを目標にしている人が多かった。テストが毎月あり、いい点を取るとどんどんクラスが上がっていきますが、途中でいなくなる人も多くいるぐらい、とても厳しかったですね。すごくいい経験になりました。
──その後、北里大学に戻られたのですね。
◆はい。北里大学の博士課程時代に、人生最大の出来事が起こりました。2015年、大村智先生がノーベル生理学・医学賞をとった瞬間に、立ち会うことができたのです。本当に幸運でした。

これは、大村先生が研究室でインタビューを受けているところで、僕が撮影しました。メディアの人たちも、研究室に大勢来ましたね。

こちらは受賞翌日の写真です。このときは実験の手は動かさずに、口を動かして指示を出し、メディア取材にも対応しました。本当に貴重な経験でした。

これは取材の時に撮ってもらった、大村先生とのツーショット写真で、僕の宝物です。
2年に1度、大村先生の名前を冠した「Tishler-Ōmura(ティシュラー・大村)講演会」が北里大学で開かれるのですが、これは2017年に開かれた第5回目の時の写真です。講演者の皆さんや実行委員の先生が集まっています。

実はこの時が、千載一遇のチャンスでした。
僕はその当時から「国際的に活躍できる人になりたい」と思っていたので、ポスドク(博士号を取得した後、大学や研究機関に採用される任期付きの研究員)で海外に行くことは決めていたのです。その講演会で、カリフォルニア大学バークレー校のサーポン先生に出会いました。サーポン先生は、僕の研究テーマの「全合成」における世界的な研究者です。

アフリカ・ガーナ出身の方で、子どものときにイベルメクチンを実際に飲んで、河川盲目症を防いだ経験をお持ちで、大村先生を尊敬していらっしゃいます。

そんなサーポン先生に、「先生の研究室に行きたいです」と直接伝える機会がありました。先生からも「イエス、オフコース」と言われて、「良かった!」と思ったのですが、次に「もしスカラシップ(奨学金)が取れたらね」と言われまして(笑)。当たり前ですが、海外に行くには、自分の力で切り開かないといけません。スカラシップが取れるように、さらに気を引き締めて研究に励んだ記憶があります。
その後、運良くスカラシップが取れたので、ポスドクとしてカリフォルニア大学バークレー校の化学科に行くことができました。
カリフォルニア大学バークレー校は、1868年創立の歴史ある大学です。ノーベル賞受賞者も100人以上います。サーポン先生には、最初に「1年後に権威ある賞の受賞講演がある。そのときに日本人ポスドクの成果を話したいから、それまでに結果を出すように」と言われました。すごいプレッシャーをかけてくるなと思いましたが、がむしゃらに研究を続け、無事に成果を残すことができたので良かったです。とにかく成果主義の先生で、厳しかったですね。

サーポン先生の研究室には、多様な背景を持つ人たちが集まっていました。ちょうどBLM(Black Lives Matter、ブラック・リブズ・マター)運動(白人警官による黒人への暴行や殺害事件に端を発する抗議運動)の時期と重なりました。そうした状況を受け、研究室でも差別や多様性について議論する時間がありました。
研究室には、育った環境も背負っているものも違う人たちが集まっており、多様性について、深く考える機会にもなりました。

千成 恒(せんなり ごう)
1989年東京都中野区生まれ。北里大学卒。野球一筋15年の学生生活の後に大学院に進学。博士号取得後、カリフォルニア大学バークレー校に留学。現地でのスタッフを経て北里大学に赴任。専門は天然物化学、有機合成化学、創薬科学。いつかヒトを救う薬を創りたいモチベーションで研究を行っている。研究の森
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